06/01/29(日) 19:43
今日最後の楽器の話、でも人生論
なんかベースとボーカルの話ばかりだけど、これだけやらせてください。
確かにATTITUDEはずっと使っていくだろう。……しかし、それはネックが反らない限り。
多分Axisも、実家にあるSquierやEpiphoneも。
悲しいことに、この世にある楽器には、いつか終わりが来る。特にギターやベースには。
正確な音を奏でられなくなったり、音を出すために必要な部分が削れてしまって、それを直すためにはギター一本以上のお金がかかる場合もある。
まだそんな状態になったことはないけど、なったら悲しいと思う。泣いてしまうかもしれない。
私と一緒に、何度も飛行機に乗って、北海道と横浜を往復した楽器。バスの中でも預けるのが怖くて、隣の席に乗せた楽器。他の客の迷惑にならないように、できるだけ身体に密着させて抱えるか、両足の間に挟んで抱えた、楽器。
それらはいつか壊れてしまう。
楽器を直せる人は、リペアマンと呼ばれている。ウルトラマンみたいに「マン」が付くと頼れる人間みたいだけど、彼らにできることは一般人より多いけど、できないことは神より多い。
強制乾燥させたり、塗装をみんな剥がしたり、一度完成させた指板をえぐったり、リペアマンといっても神じゃなくて、所詮外科医なんだ。
トラスロッドが回りきったら、ギタリストにとっては心臓に血栓ができたか癌になったかのようなもので、もう直らないということが分かっていながら今は何の問題もない、という状態に陥ってしまう。
人間にはホスピスがあるけど、楽器にはそんな場所はない。もちろん理論上は外科手術もできるようだけど、……やることは心臓移植だ。トラスロッドを入れ替えたところで、それでどうなるというんだ?反っているのは「木」なのに、なんで金属の棒を使わなければいけない?
トラスロッド調整くらいなら楽器屋の店員にも、もちろん私たちにも出来るけど、それは「自然治癒能力」に頼るようなもの。
寿命のなくなったトラスロッドとネックは、最後の人生を生きるしかない。病院にいても直らない。
何をすべきか。
精一杯その音を鳴らしてあげることだ。精一杯、死ぬまでを生きるしかない。
ネックが限界に達したとき、ギタリストには選択肢が残されている。愛したギターのボディを、新たなネックに入れ替えるか、ネックの死んだボディはそのままにして、新たなギターにするか。もっと現実的なギタリストは、ピックアップやブリッジを取り除いて他の楽器に流用する。
人間で言えば、死んだ後の身体を何かに使うか、死者は火葬にして、新たな人と生きるか、という選択肢。究極的には、臓器移植するか火葬にするか、といったところだ。
多くのギタリストは後者を選ぶと思う。ネックがギターを鳴らしているという話もあるし、手に触れる部分はボディではなく、ネックなのだから。
ただし少数のギタリストは前者を選ぶ。その人達のために、ネックを作ってくれる工房もある。
楽器は、限られた形で生と死を表現する。特に弦楽器には、ピアノみたいに百年でも鳴り続ける楽器とは違う、弦にまつわる本質的な寿命がある。エレキベースはその代表的な例で、すぐに反ってしまうネックがたくさんある。
張力が張力だから、それはきっと不可抗力。
愛した楽器が壊れると同時に、楽器を弾くのをやめる生き方もあるかもしれない。だけど、多くのギタリストは楽器を取り替えて、また弾くだろう。
それは人生にも似ている。不治の病に冒された愛しい人を、時間の続く限り愛する。たとえそれで人生が狂おうとも、後悔はしないと誓って。
そして彼女が、彼が、死んだときにもう一度立ち止まる。いかに、私は生くるべきか?
彼女の、彼の残骸を抱えて、思い出と未来を掛け合わせるか?
彼女を、彼を丁重に葬り、心の中で永遠に鳴り響かせるか?
いつかは考えなければいけない課題だろう。
ギタリストは、ベーシストは、つねに裕一と里香の間にいる。愛と絶望、生と死の間にいる。
楽器を演奏することは、楽器を死へと誘導していくことでもあるかもしれない。59年製のレスポールは、生と死の狭間を奇跡的に生き延びてきた。……けれど、いつか死が待っている。
多くの「オールド」ものは、ショウケースの中で永遠に保存されるか、演奏者に鳴らされるか、どちらかの人生をたどっているようだ。
どちらが幸せだろうか。
確かにATTITUDEはずっと使っていくだろう。……しかし、それはネックが反らない限り。
多分Axisも、実家にあるSquierやEpiphoneも。
悲しいことに、この世にある楽器には、いつか終わりが来る。特にギターやベースには。
正確な音を奏でられなくなったり、音を出すために必要な部分が削れてしまって、それを直すためにはギター一本以上のお金がかかる場合もある。
まだそんな状態になったことはないけど、なったら悲しいと思う。泣いてしまうかもしれない。
私と一緒に、何度も飛行機に乗って、北海道と横浜を往復した楽器。バスの中でも預けるのが怖くて、隣の席に乗せた楽器。他の客の迷惑にならないように、できるだけ身体に密着させて抱えるか、両足の間に挟んで抱えた、楽器。
それらはいつか壊れてしまう。
楽器を直せる人は、リペアマンと呼ばれている。ウルトラマンみたいに「マン」が付くと頼れる人間みたいだけど、彼らにできることは一般人より多いけど、できないことは神より多い。
強制乾燥させたり、塗装をみんな剥がしたり、一度完成させた指板をえぐったり、リペアマンといっても神じゃなくて、所詮外科医なんだ。
トラスロッドが回りきったら、ギタリストにとっては心臓に血栓ができたか癌になったかのようなもので、もう直らないということが分かっていながら今は何の問題もない、という状態に陥ってしまう。
人間にはホスピスがあるけど、楽器にはそんな場所はない。もちろん理論上は外科手術もできるようだけど、……やることは心臓移植だ。トラスロッドを入れ替えたところで、それでどうなるというんだ?反っているのは「木」なのに、なんで金属の棒を使わなければいけない?
トラスロッド調整くらいなら楽器屋の店員にも、もちろん私たちにも出来るけど、それは「自然治癒能力」に頼るようなもの。
寿命のなくなったトラスロッドとネックは、最後の人生を生きるしかない。病院にいても直らない。
何をすべきか。
精一杯その音を鳴らしてあげることだ。精一杯、死ぬまでを生きるしかない。
ネックが限界に達したとき、ギタリストには選択肢が残されている。愛したギターのボディを、新たなネックに入れ替えるか、ネックの死んだボディはそのままにして、新たなギターにするか。もっと現実的なギタリストは、ピックアップやブリッジを取り除いて他の楽器に流用する。
人間で言えば、死んだ後の身体を何かに使うか、死者は火葬にして、新たな人と生きるか、という選択肢。究極的には、臓器移植するか火葬にするか、といったところだ。
多くのギタリストは後者を選ぶと思う。ネックがギターを鳴らしているという話もあるし、手に触れる部分はボディではなく、ネックなのだから。
ただし少数のギタリストは前者を選ぶ。その人達のために、ネックを作ってくれる工房もある。
楽器は、限られた形で生と死を表現する。特に弦楽器には、ピアノみたいに百年でも鳴り続ける楽器とは違う、弦にまつわる本質的な寿命がある。エレキベースはその代表的な例で、すぐに反ってしまうネックがたくさんある。
張力が張力だから、それはきっと不可抗力。
愛した楽器が壊れると同時に、楽器を弾くのをやめる生き方もあるかもしれない。だけど、多くのギタリストは楽器を取り替えて、また弾くだろう。
それは人生にも似ている。不治の病に冒された愛しい人を、時間の続く限り愛する。たとえそれで人生が狂おうとも、後悔はしないと誓って。
そして彼女が、彼が、死んだときにもう一度立ち止まる。いかに、私は生くるべきか?
彼女の、彼の残骸を抱えて、思い出と未来を掛け合わせるか?
彼女を、彼を丁重に葬り、心の中で永遠に鳴り響かせるか?
いつかは考えなければいけない課題だろう。
ギタリストは、ベーシストは、つねに裕一と里香の間にいる。愛と絶望、生と死の間にいる。
楽器を演奏することは、楽器を死へと誘導していくことでもあるかもしれない。59年製のレスポールは、生と死の狭間を奇跡的に生き延びてきた。……けれど、いつか死が待っている。
多くの「オールド」ものは、ショウケースの中で永遠に保存されるか、演奏者に鳴らされるか、どちらかの人生をたどっているようだ。
どちらが幸せだろうか。
カテゴリ:演奏
- 堕落者 06/01/29(日) 20:29
- 俺は鳴らしていくのが楽器の為かな、と思った。
やはり音を奏でる事が楽器の存在意義だろうし。
それを目指して生まれたのなら、それの先で死ぬのが楽器としての一生かと。
冷凍睡眠状態になるくらいなら、限られた間を精一杯に生きる方が幸せじゃないかな。
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