48-56はこちら。
Cassius Dio Cocceianus,Roman History, 16.48-56(重訳)57. 従って彼らは兵士たちに多くの説教をもした、しかしどちらも全く同じように、差し迫った戦の結果と後の結果ともに関して、このような場合に言われるのがふさわしいことすべてを言った。彼らがどちらも同じ都市の出であり同じ問題について話し合って互いを僭主と呼び、自らを、演説した相手の専制からの解放者と呼び、彼らはそれぞれの側で言うことに何も違いはなかった。しかし一方は何もかも失う側であり、他方は救われる側であり、一方は捕虜となり、他方は主人となる運命を満喫し、何もかもを持つか何もかもを奪われるか、もっとも恐ろしい運命を被るか押しつけるかである。市民たちにそのような説教をして、その上、よりよい運命への期待と悪いことへの恐れを臣下と同盟軍に吹き込もうとして、彼らは互いに近親を、同じ陣営を共有した者を、同じテーブルを囲い、同じ神酒を捧げた者をひどくけなした。なぜ誰が、これらその指導者が戦った時に、巻き込まれた他の者の運命を嘆くべきであろうか、あの者たちは互いに上記すべての通りの者であり、そのうえ多くの秘密の言葉と似た功績を共有した者であり、結婚の絆がかつてつないだ者であり、またその子供を、一方は父として、他方は祖父として愛した者であるというのに?
※oduraito(opt.)-emachonto(opt.)
※ontes,kekoino^ne^kotes,sunapsamenoi,agape^santes(part.)
この、自然が血を混ぜることによって彼らを共に縛った絆すべてが、今や、彼らのどん欲な力の輝きに導かれ、彼らを破り、引き裂き、別々に分裂させようと急いだ。これらのためにローマは自らを守るために、また自らを相手して戦うように強いられていた、そうして万一栄光に輝くローマが負かされるとしても。
58. 彼らが参加した戦はこのようなものであった。彼らはまだすぐには近い場所に来ることはなかった。同じ共和国に生まれ同じ暖炉から生まれ、ほとんど同一の武器と似通った陣形で、それぞれの側が戦をはじめるのを尻込みし、誰かを殺すことにも尻込みした。誰もが、全く前進も移動もせず、しかし頭はかがめて動かずに立っていた。それはあたかも命がないかのようであった。それゆえ、カエサルとポンペイウスは、彼らが黙っているともう敵意が減ってしまうのではないかと、また和解さえしてしまうのではないかと考え、急いでトランペット持ちには合図を出すように、兵士たちには一斉にときの声を上げるように命じた。二つの命令は実行されたが、戦士は勇気を吹き込まれるにはほど遠く、トランペット持ちの合図の音には同じ音程を出し、彼ら自身の叫びには同じ言葉(言語)で声を上げるが、彼らは同じ人種の連帯感を示し、これまで以上に血縁関係をさらけだし、涙をこぼして悲しむまでになった。しかし長い時間の後で、同盟軍が戦闘を始めると、残りも参戦し、彼らがしていたことに正しくも我を忘れた。
59. 遠距離で戦っていた者たちは、この恐怖にはやや鈍感であった、彼らは矢を放ち、槍を投げ、誰に当たるか知らずに投石を放っていたから。しかし重装歩兵と騎兵はそこで非常にひどい目にあった。彼らは互いに接近しており、あちこちで話すことさえできたからである。あるところで同時に、彼らは正面に立つ者を認め、彼らを傷つけ、彼らを名前で呼んで殺し、生まれた都市の名前を呼び、身ぐるみをはぐだろう。彼らが互いにどこで会おうが、ローマ人によって、またローマ人とともにいてイタリアから来た者によって、なされも被りもした行いとはこのようなものである。多くの者が、まさに自分を殺す者を通して伝言を家に送った。しかし臣民軍(被征服者の軍)は熱狂的にかつ絶え間なく戦った。偉大な熱意を示しながら、かつては自らの自由を勝ち取るために、今ではローマ人の奴隷身分を守るために。彼らは、すべての点で彼らに対する劣等性を減らされたので、友人に持つ奴隷として彼らを持ちたがっていた。
60. それゆえにこれはとても激しい戦であり、多様な出来事にあふれた戦であった。大部分は言われた理由のため、また数と軍事力(武装)の幅広さのためである。重装歩兵の大群があり、大量の騎兵があり、ほかのグループには射手と未だ投石兵があり、そのため彼らは平原中を埋めて、そこを覆い、彼らはしばしば互いに、同じ武器をまとっていたので戦いあい、しばしば無差別に違った武装を持つ者と戦ったのである。ポンペイウス側は騎兵と射手にまさっていた。そのため彼らは兵士を遠くから囲み、奇襲をかけて、敵を混乱に放り込んでから後退する。そして彼らは繰り返し攻撃するのである。ある時はこちら側に回って、またある時は反対側に回って、と。カエサル側は、それゆえ、これに対して防御を取り、円を描いて回ることで常に攻撃軍に正面から対しようとして、彼らが近くまで来た時に争いの激しさで人も馬も捕らえた。軽装歩兵はまさにこの目的のために騎兵に近づけられていたからである。そして、私が言うように、このことが、一箇所ではなく、一度に多くの場所で、あたりに広がって行われると、あるところではいくらかの争いと共に遠くで、ほかのところでは近くで戦い、ある集団は敵を負かしあの集団は貫かれ、ある分遣隊は逃れ、ほかのところでは追いなどと、多くの歩兵戦が、また多くの騎兵戦が見られた(inf)。
※eipon- "tauta horasthai"→「このことが見られると、私は言った」
その間に多くの信じがたいことが起こった。ある者がほかのものを追い散らした後、自ら逃げ出してしまったと、また敵を避けていた別の者が、逆に敵に襲いかかったという。ほかのものを殺した兵士が自らを傷つけ、別の、すでに倒された兵士が、彼の前に立って見下ろした兵士を殺したという。多くの者が傷つけられることなく死に、多くの者が半死のままで殺し続けた。あるものは喜びパイアーンを歌った、ほかの者が嘆いて悲嘆の声をあげている間に、そうしてすべての場所が叫びと嘆きに満ちた。大多数はこの事実に混乱に陥れられ、というのも、民族と言語の混乱のために、言われたことが彼らには訳が分からなかったからであるが、そして大いに彼らに警告した、そして互いに(その意味が)わかった者は何倍も悪い不幸を味わった。というのも自らの不幸に加え、隣人の不幸をも聞くと同時に見ることができたからである。
61. 終わりには、彼らが均衡のとれた戦をとても長い間続け、双方に多くの人間が同じように死に、傷を受けた後で、ポンペイウスは、彼の軍隊の大部分がアシア人で未訓練であったので、敗北した、彼にはそれが行動の前に明白であったが。雷光が彼の宿営に落ちたので、火がカエサルの宿営を覆って空に現れ、後に自らのにもふりかかった。蜂が彼の軍旗の周りに群れて動き、祭壇のそばに集められた後で、多くの犠牲獣が逃げてしまった。そして残りの人類にまで広がったこの競争の影響はとても大きく、まさに戦があったこの日に、多くの場所で軍隊の衝突と武器の鳴り響きが起こったのである。ペルガモンでは太鼓とシンバルの響きがディオニュソス神殿から起こり都市中に広がった。トラッレスでは椰子の木がウィクトリア神殿から生え、女神像は彼女のそばに立つカエサルの像に自らを向けた。シュリアでは二人の若者が戦の結果を知らせて消えた。そしてパタウィウムでは、今はイタリアに属しているが当時はまだガリアの一部であったが、数羽の鳥がその知らせを持ってきただけではなく、方向を示しさえした。ガイウス・コルネリウスという者がこれらの行動から起こったことすべての正確な情報を得たので、それを見物人に語った。これらのいくらかのことはまさにその同じ日に起こり、彼らは、不自然ではないが、その時は信じなかったであったが、実際に起こったことの知らせがもたらされると、それに驚いた。
62. その場所で殺されなかったポンペイウスの従者のうち何人かは逃れられるところならどこへでも逃れ、あるものは後に(捕らえられた/降伏した:欠文)。彼らのうち戦列の兵士であった者はカエサルが自らの軍団に加え、カエサルはいかなる憤慨も表さなかった。しかし元老院議員と騎士たちのうち、彼は以前に捕らえて許した者らをみな死へと追いやったが、カエサルの友人が頼んだ者らは除いた。彼はこのとき友人たちに一人ずつ救うことを許していたから。そして、はじめて彼と戦った残りの人間を彼は解放した、こう言って、「彼らにとってポンペイウスは友人であるが、本気であった彼らは何も私に誤ったことをしていない。彼らは私から何も好意を受けていない」と。彼がポンペイウスを支援した王子や人民にも、同じ態度をとった。彼は彼らをみな許した、彼は自ら誰も、またはほとんど誰も知らなかった、彼らはこれまでカエサルの敵から多くの好意をえてきたのに。実際彼は、彼らを、ポンペイウスから好意を受け取った後で彼を危険のただ中に追放した者たちよりも遙かに多く称えた。彼が都合よく期待することのできた前者は、彼にも好意が向くことを当然期待することができた、しかし後者については、どれだけ熱心に彼らが何もかもで彼を喜ばせるつもりであっても、カエサルは、彼らがこの危機に友人(ポンペイウス)を裏切った限り、今や自分をも助けないだろうと信じた。
63. 彼の感覚の証明は彼がトラキア人サダルスとガラティア人デイオタルスを、彼らは戦に参加していたが、またタルコンディモトスを、彼はキリキア属州(の領土)の支配者であってポンペイウスに船のことに関して最も大きな支援をしていたが、彼らを許したことであった。しかし援軍を送った残りの者たちを、彼らをも金を取り上げるだけでカエサルは許したが、数え上げることに何の意義があろうか? 彼は彼らにほかには何もせず何も取らなかった、多くはポンペイウスから、ある者は昔に、ある者はちょうどこの時に、無数の大きな贈り物を受け取っていたというのに。彼はデイオタルスに属していたアルメニアの領土の一部をカッパドキア王のアリオバルザネスに与え、これにカエサルはデイオタルスをもう全く傷つけることなく、彼には遙かに多いさらなる好意を送った。彼は領域を縮めなかったのである。しかしカエサルが、前にファルナケースが保有していたアルメニアの全部を掌握した後は、その一部をアリオバルザネスに譲りほかの部分をデイオタルスに譲った。そして、この者たちを、彼はこのように扱った。彼の側のファルナケースは、自分がポンペイウスを援助しておらず、したがって振る舞いの観点から、許しを受けるに値すると嘆願をした。しかしカエサルはその点にいかなる考慮も見せず、そのうえに彼をまさにこの点で叱責した、つまり彼が自ら、自分は恩人に対して利己的であり無礼であると証明した、と。そのような人間性と高潔さを、彼は彼に対して戦った者すべてに見せた。ともかく、ポンペイウスの金庫の中から綴じられて見つかった、善意を持ついかなる者たちをも後者か自らへの悪意を持つ者であると証明するようなすべての手紙は、彼は読みも複製しもせず、すぐに焼いた、その中に何があったかということによって厳格な基準を採用することを強いられぬように。そしてこの理由のため、もしかしたら、人は彼に対して陰謀を抱いた人々を憎むかもしれない。私はこの言葉を特別な目的で書いた。マルクス・ブルートゥス・カエピオが、後で彼を殺すことになるが、彼がカエサルに捕らえられて許されたただ一人の者ではないからである。