随筆・ザの人

じんこつっ!

吉田さんと二見さんと星乃さんでできています。

Category:読書
この随筆は、新しい「ザの人」にて絶賛新連載中です。
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08/11/16(Sun)

Category:読書

『となり町戦争』

ctime: 08/11/16(Sun) 21:46
『となり町戦争』(三崎亜記・集英社/集英社文庫)読破。
地域振興の公共事業として行われる、戦争。それに部分的に加わった主人公が、リアリティもなく見えもしないそれを描く。

これほど重いのは久しぶりだ。重いのだが、見かけも事実も非常に軽い。この二面性が心に突き刺さる。突き刺さった事実から痛みは分からないが、それが爆発すると衝撃を受ける、魚雷のような作品だ。
事実は多くの場合美名で覆い隠されて、それをずいぶん咀嚼した後に、真実を思い知らされる。逆に言えば、知り合いが人を殺していようが知り合いが戦死していようが、オブラートに包んでしまえば簡単に聞き流せるものだということが明らかになる。
それよりは、プロポーズを断られた方がよっぽどリアリティもあるし、まっすぐに命に突き刺さるというものだ。

誰一人戦争に反対している人間はいないことにも注意しておきたい。私情を捨てて公務員としてそれに加わるか、玉砕すべく本質的な意味を悟ろうとするか、軍事ヲタクとして遊ぼうとするか、ビジネスマンとして儲けようとするか、興味本位で触ってみようとするか、それは全く別問題だが。
別章では、その事実が直接的に突きつけられている。戦争というものがある以上、それに乗るか、乗らずに死ぬか、この二択だ。この状況はすべてに適応できる。資本主義もそう、搾取もそう。そもそもよく考えてみれば、冷戦が終わってまだ二十年ではないか。
人間はつい最近まで、何をしようが両陣営のどちらかに荷担していたのだ。

ストーリーや叙述について。読んでいるうちに展開は読めていた。だから、小説全体として驚きはしなかった。しかし、気がついた瞬間に走った衝撃だけはどうしても忘れられない。
これはたちの悪い読み方かもしれないが、大切なことだ。
それから、事実に関する描写はいつも控えめだし、公務員的字句が全体に現れることも注意すべき。特に文書は、ライトノベルでいう挿絵のように、叙述以上に意味を持ってきている。あそこにある無謬性と冷徹さは、想像力をかき立てている。

これは反戦小説と読めるだろうか?
もしもそう読もうとすれば、反戦のみならず、現代のすべてを否定するアナーキーなものと読まねばならない。戦争だけを限定して取り扱っているわけではないからだ。戦争と限定するから、意味が奪われる。
たとえば戦争を「競争」と読み替えればどうだろう。都市同士が住民を奪い合い、企業を奪い合い、補助金を奪い合い、合併の主導権を、駅の配置を、医者を奪い合っている。教育現場では予算を奪い合い、図書館の予算は消え、私立と公立、公立と公立の間に格差が生じている。人間と人間の間には生活レベルの絶対的な差が存在し、それを否定はできない。
おそらくは、「反戦」ではない。これにイデオロギー性を認めることはできない。別章にもあるように、事実を「自覚」させる物語なのだ。それ以上進めば、どうやっても間違う。そこからは読者の役割だ。

08/11/15(Sat)

Category:読書

となり町戦争

ctime: 08/11/15(Sat) 17:27
『となり町戦争』を読んでいる。

やっぱりイラク戦争の影が漂うなあ。それと、日本でのたけなわの競争社会の影もちらつく。
具体的に言えば、(戦争の)アウトソーシング、軍事と宗教の一体化、軍事教練や「となり町戦争」というシステムそのもの(競争社会のメタファー)、公的部門の私的生活への介入(結婚による軍事業務への組み入れ)など。
思ったよりも深いテクストだ。

08/10/24(Fri)

Category:読書

超インテリ

ctime: 08/10/24(Fri) 17:17
大江健三郎『人生の親戚』を二日で読んだ。
ようやく普段通りの読書ペースに戻った気がするが、まあそれはいい。

しかし、作品の内容がインテリ向けすぎる。
何から何まで文学と引用とその解釈で構成されている。精液と陰毛分がシーザードレッシングのようにふりかかってはいるが、それでも厳しい。
一人分の格段重い人生で読者を超消化不良にしておいて、ただ著者だけがよく納得しているようだ。

いや、この作品は好きだよ。「先天的知的障害者と後天的身体障害者の親となったひとりのインテリ女性が、いかに生きいかに死ぬか」、とあらすじ的に綴ったところで、作品中の深さには決してたどり着けない。だがその深さは、なかなか納得し消化できるようなものではない。作品中で生きた女性だって、どこへさまよっても納得できぬことを「intelligibleだといいはる」(p.211)ことを自らに強いて・大江たちのたくらみどおりに、バルザック『村の司祭』そのまんまの苦役を自らに課して・裸をフィルムに映して、死んでいったようにしか見えない気がする。
これは未解決の物語なのだろう。彼女がついていった宗教的コミューンの指導者が肉体に敗れたのと同じように。

と文章を書いてみたが、大江健三郎っぽい書き方をちょっとしてみた。大江の中黒は、古典ギリシア語のmen,deのように対比の意味を持っているのかな。大江の天敵、本多勝一がブチキレしそうな用法だ。大江は読点のつけかたもひどいし。

08/10/08(Wed)

Category:読書

ノーベル賞

ctime: 08/10/08(Wed) 12:27
ノーベル賞受賞者も、賞賛されてばかりではない。受賞してからしばらくは神格化されるけど、やがて忘れられるか、「芥川賞受賞」程度の肩書きに堕する。特にノーベル文学賞は悲しい。受賞作家の作品が全然日本語に翻訳されていないのだから。
日本のノーベル文学賞受賞者は二人。川端康成と大江健三郎。ところが川端は太宰や芥川、漱石ほど言及されることはない。ゆとり教育見直し論議で「漱石・芥川・鴎外が読めるようにする」と言われても、川端は徹底スルーだ。特に大江は悲しい。沖縄ノートや反戦運動なんかで嫌われている。
だけど、この二人とも、もうちょっと評価されてもいいと思うんだ。特に大江に関しては、作家と言うよりは文学者として評価されるべき。政治的発言に憤慨せずに読んでくれれば、この人のすごさがわかる。すごいというか、背筋がガチで震える。吐き気を催すかもしれないけど、本当に文学を読むなら通過儀礼だろうから。

08/09/18(Thu)

Category:読書

まとめてレビュー

ctime: 08/09/18(Thu) 22:48
かなりの本を家に置いていくので、出発する前にまとめてレビュー。

『アントニーとクレオパトラ』(シェイクスピア/福田恆存訳・新潮文庫)
シェイクスピアの史劇。エジプト最後の女王クレオパトラと、彼女に首ったけとなったローマの将軍アントニーの、許されぬ愛と破滅の物語。
ここに出てくるアントニーは、一貫性というものをほとんど持っていない。クレオパトラに夢中と思えばかつての妻の死には本気で嘆き、ローマの危機にはクレオパトラを袖に振ってまで駆けつけ、しかもその心を(こういう時に限って)保ったまま、シーザー(オクテイヴィアス)の姉オクテイヴィアと結婚してしまう。それでもやはり、本心はクレオパトラにある。

彼の心はわからない。クレオパトラの方はだいたい一貫してアントニーのことを思っているのがわかるのだが、アントニーはどうしようもない。全体的に、彼が常に本気で動いている感じはするが、それがあまりにも場当たりに見えてしまう。
クレオパトラの行動も、戦争に加わってみると思えば逃げてみたり、やっぱり一貫性のないところはあるのだが、それが女だ、と割り切ってみれば理解できないこともない。だがアントニーはむちゃくちゃだ。

『古代への情熱―シュリーマン自伝―』(シュリーマン/関楠生訳・新潮文庫)
トロイア戦争の物語を本当と信じ込んで、商業で一財産蓄えてから、私費で発掘して、本当にトロイア遺跡を掘り出してしまった、一変人の伝記・評伝。
信じられない話ばかりが出てくる。数多くの言語を独学で学び、「大きな声でたくさん音読すること、ちょっとした翻訳をすること、毎日一回は授業を受けること、興味のある対象について常に作文を書くこと、そしてそれを先生の指導で訂正すること、前の日に直した文章を暗記して、次回の授業で暗誦すること」(p.26)で次々とマスターし(彼は日本語も学び、実際に日本に行って、その感想を残している)、その外国語の力と幸運と商才であっという間にぼろ儲けしたのだ。
で、その努力すべてが、トロイア遺跡を掘り出すためだけのものだというから、恐ろしい。世界最大の馬鹿だ。バカランキングトップクラスだ。
しかしそれを本当に実行し、しかも成功させたのだから、彼はひと味違うのだ。
シュリーマンの方法は荒々しいと批判もある。ところが彼は、ただ適当に掘り出して大喜びするだけの人間ではなかった。ホメロスのテクストを完璧に読み込み、しかもそれを完璧に信じて、場所の見当をつけていって、そこを掘ったのだ。現代人の先入観を一切排除して、ただテクストのみで発掘したというのは、なかなかない話だ。
そして、彼はその方法を貫くだけでなく、学術的分析も試みた。自分がわからない部分は専門家を呼び、さまざまな資料からそれを研究する。
彼はただ掘るだけではない。しかし、当時の考古学は、「想像する」前に「批判する」ことをなし、「掘ってみる」前に、「嘘だと否定」してみせたのだ。
それでは何も出てこない。

『戦争と平和』(トルストイ/工藤精一郎訳・新潮文庫)
ナポレオンのロシア侵攻のころの、ロシアの名門貴族たちの青春群像。

08/09/16(Tue)

Category:読書

史記列伝

ctime: 08/09/16(Tue) 20:21
司馬遷『史記列伝』を読み始めたが、あまりにも果てしなくて、しかも複雑でくじけそうになる……
戦国時代は、斉楚秦燕韓魏趙と東周が絡み合う世界。それだけに、短期間で一気に読まないと話が全然わからないや……

トゥキュディデスとどっちを先に読むかで迷ったけど、これなら途中で断念してトゥキュディデスを始めた方がいいかもしれないなあ……
久しぶりに断念しようか。

08/09/09(Tue)

Category:読書

『フェルマーの最終定理』

ctime: 08/09/09(Tue) 23:06
『フェルマーの最終定理』(サイモン・シン/青木薫訳・新潮社/新潮文庫)読破。
数学界の難問中の難問と言われた、フェルマーの最終定理。「x^n+y^n=z^n (n>2)のとき、解は存在しない」という、書いてみればシンプルな命題を証明するまでに、無数の数学者の果てしない挑戦があった。それを解いたひとりの数学者の挑戦を描くとともに、三世紀にわたる数学者の営みをも描いた、驚きのベストセラー。

ぶっちゃけ私は数学的センスというものが全くなかったのだが、この本はしっかり読めた。主題はもはや延々と続く方程式ではなく、解法の歴史であり、解き方のアイデアだから、誰にでも楽しめるのだ。
そして、この命題が生まれた歴史も面白い。要するに、ピュタゴラスの定理、x^2+y^2=z^2の延長であり、その向こうには数学の起こりがそのまま含まれている。ナイル川の測定から、世界最大の謎に一直線でつながっていたのだ。

フェルマー以後の物語は読んでもらえばよいが、そこには女性数学者があり、懸賞があり、不完全性定理の絶望もあった。解けるのではないかという発見と、見落とされた例外の発見の繰り返しなのだ。そのうちにコンピューターも現れたが、力押しではどうにもならない。
希望を開いたのは、全く関係のないような分野の研究であり、予想外のところから証明の手がかりが現れた。数学が一つであるかもしれない、という希望すら副産物として生まれてきた。
そしてひとりの数学者が、ついに証明してみせた。フェルマーと同じような孤独な戦いの果てに、やってのけたのだ。

ちなみに、フェルマーは上記の命題を証明していた。ぶっちゃけ、現代にワイルズが証明したよりも簡単なものではないかとか、実は証明できていないのではないかとか、いろいろ言われているが、それはともかくとして、彼は証明しておきながらその式を残していないのだ。
天国まで謎を持って行ってしまったのだ。
で、その代わりに彼はこんな言葉を残している。
cuius rei demonstrationem mirabilem sane detexi. Haec marginis exiguitas non caperet.
「このことのまさに驚くべき証明を、私は発見した。だがこの余白が足りなくて、書いておく場所がない」
……さすが天才は違うなあ。
Category:読書

『恢復する家族』

ctime: 08/09/09(Tue) 22:04
『恢復する家族』(大江健三郎・大江ゆかり画・講談社/講談社文庫)読破。
著者の子供には障害があった。しかし彼が生まれ、成長してゆくことによって、むしろ家族の関係は埋まっていった。その様子と息子・光の音楽が花開くさまを、大江健三郎の言葉と妻ゆかりの画が描く。

大江健三郎のルーツは、ここに描かれる息子と、平和運動にあるようだ。彼の作品の多くで障害者のモチーフが頻発し、原爆の悲惨さや戦争責任の意識が、今に至るまで作家・大江健三郎の活動を彩っている。
そういう意味では、この本は大江健三郎を考える時の根本かもしれない。
彼はきれい事は述べていない。息子を施設へ送るくらいなら原稿を仕上げたいとも思ったことだってあるし、怒ったことだって当然ある。ただ、その先の真剣な罪悪感や、受け身ながらも障害のある子供を背負った覚悟が、大江を「きれい事を吐く」人間に見せているだけなのだ。
その間には「恢復」があった。彼らが北軽井沢の別荘で過ごしたような、全くの幸福な日々は去って、家族の間の「旬」は過ぎたかもしれないが、試練を経た後の恢復は未だに役割を果たし、家族はつながっている。

ただ、このエッセイに出てくるのは、ひたすら「家族」とのその周囲だった。物語のことはほとんど形にならず、外部との接触も、常に家族や友人を媒介している。
三島由紀夫だったり、巻末に出てくる中傷の手紙だったり、敵意のある他者や無関心な他者がもっとたくさん出てきてもいいはずなのに、あたかも意識的に外部の話を抑制しているかのように、何も出てこない。政治問題も全然現れないのだ。
そういう意味では、巻末の手紙も、実は正しかったのかもしれない、とさえ思ってしまう。
≪もし、「大江光」が「大江健三郎」の息子でなかったら、果して天下の「サントリーホール」で自作の発表会が可能だっただろうか。また、CDを出すことも可能だっただろうか≫と、その手紙は書き出している。
この物語は家族の物語だった。そして、家族の現実だった。それにしては、現実が狭すぎるような気もするのだ。うまく行き過ぎているような気もするのだ。
そのあたりの作為的なもの、大江健三郎であるがゆえの順風満帆な現実というのも、なんとなく、感じてしまう。
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『こころの処方箋』

ctime: 08/09/09(Tue) 21:20
『こころの処方箋』(河合隼雄・新潮社/新潮文庫)読破。
人間の「こころ」にまつわる非常にシンプルなエッセイ。4ページでひとまとまりで、誰でも気楽に読める。

この本は、非常にゆるい。そのゆるさが、大いに助けになることがある。エッセイの一発目が「人の心などわかるはずがない」なのだから、すごいものだ。
「処方箋」だからといって、直接的な実用書ではない。こういう時はこうすればいい、という絶対的なマニュアルでもない。「こういうこともある」「でも、こうかもしれない」「案外こういうものだ」というようなアバウトな感じで、心をもみほぐしてくれる。
読み終えると、ちょっと幅が広がってくる。先入観や強迫観念、思い込みがほぐれて、気楽になれる。新しい可能性が開けてくる。少しだけでも生き方を変えるきっかけになる。
著者が言っているのは、それほど特別なことではない。いろいろな著者のいろいろなエッセイの結論が、この4ページにまとまっている、ということかもしれない。それくらいに、普通だ。
著者は自らのエッセイを、「ここには『常識』が書いてあるのだ」(あとがき、p.231)と述べている。いや、まったくその通り。
だけどその常識も、一度は文章にして読んでみないと、そしてタイミングよく目に入らないと、なかなか使うことはできないんだよなあ。だから、とりあえず手元に置いておいて、困った時にはタイトルだけでもぱらぱらとめくっておく、という使い方をしてもいいと思う。
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『カラマーゾフの兄弟』

ctime: 08/09/09(Tue) 20:32
『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー/亀山郁夫訳・光文社古典新訳文庫)読破。
好色地主フョードル・カラマーゾフには三人の子供がいた。プライドの男ドミートリー、思想の男イワン、宗教の男アレクセイ。彼らの再会がきっかけで、複雑に絡まる恋愛物語と財産争いが一家の間に持ち上がる。

あらゆるブックレビューでトップクラスに評価される長編物語が、新訳によって現代に蘇り、再び読まれるようになりました。
改めてレビューをしていきましょう。

まず、この物語は最後まで冷静に読むことはできない、ということに注意してほしい。これだけの量があると、どうしても急ぎ足で読んでしまうし、途中のことを忘れても全体をキッチリ掴みたいと思って、全力で読んで行くことになるからだ。
それでも思い出せる全体の印象を書いていけば、この物語は、第一に金とプライドが絡み合った物語だと思う。
以前も書いたが、人間が金によって縛り付けられたり、わずかな金のために殺人を犯したり、善意で渡した金がプライドによって拒絶されたり、金に困った人間が金をばらまいてみたり、聖職者が金を受け取ってみたり、恋人と駆け落ちするために許嫁から金を借りてみたり、複雑な関係そのままに金が動いている。
これはドストエフスキーの他の作品とも共通している。貴族という概念が消滅した現代では全く縁遠くなってしまった、かといって貴族自身にもあまりわからないであろうような、不思議な金の使い方をする知識人がドストエフスキーにはよく出てくる。
そしてその金の使い方には、いつもプライドがまとわりつく。とにかく使いたくなってしまうという心があったり、これだけは絶対に使わないという強固な意志があったり、とにかく貸してあげるわよという気楽さがあったり、これで貸しを作れるという意識もある。金は人間関係から離れず、その関係をどんどん複雑にしてゆくアイテムだ。

そして、この作品独特のものは、思想だ。第二巻で併置される、イワンの「大審問官」とゾシマ長老の自伝がそれだ。
詳しくは語らないが、この思想は、決して物語だけで終わるものではない。それどころか、『カラマーゾフの兄弟』を語る時には必ずといっていいほど言及されるものであり、現実をこの視点で眺めることも可能なほど、可能性を秘めた思想だ。
たとえば田川建三の、「逆説的反抗者」としてのイエス像は、もしかするとこの作品から生まれたのではあるまいかと想像することができる。伝統的に伝えられてきたイエス像が間違っていた、という仮説を立てれば、むしろ「悪魔」を選んだ大審問官こそがイエス(「史的イエス」)を正しく理解していたのだ、という結論に至る。
イワンの苦しみに満ちた論理は、ただのアンチキリストと否定できぬ重みを秘めている。
一方ゾシマの自伝は、その紆余曲折から言って、ただの聖人とは思われぬものを秘めている。むしろ彼の生涯は、どこか釈迦の悟りを思わせるものがある。民衆を見つめ、自らの生活を劇的に変転させ、聖職者となったのだ。
彼の凄さも、そしてその人間くささも、読んでいるうちに伝わってくる。ゾシマを憎めるのは、よほどの聖職者だ。この自伝はイワンと比べて全くの脱線のようだが、やはり非常に重要だろう。

個々の要素に気を取られて、ストーリー全体のすごみを忘れてはならない。しかし、ストーリー全体は、やはりドストエフスキー流の、奔放で饒舌な言葉のラッシュにかき回されて勢いがついている。
端的にこの物語の全体を要約すると、「三兄弟の父親が殺された。一番殺しそうな長兄が捕まったが、犯人は良心の呵責のない次男にそそのかされた下男だった」ということになってしまって、途端に味気なくなってしまう。ポイントなのは、先入観で「一番殺しそう」な長兄のプライドや苦しみであり、「良心の呵責のない」次男の思想と、奇妙で異常な「下男」との関係であり、この二人と被害者をつなぐ恋愛の争いであり、共通する「カラマーゾフ的」なものであるというのに、それらがすっかり消えてしまう。これらをつなぐのは、やはり個々の要素だ。
しかもこれが、本当の終わりではないというのだから、恐ろしい話だ。複線はまだ残っていて、未来につながっていたらしい。

ただ、読み終えてからしばらく経つと、どこか冷静になってしまって、レビューもどこか散漫になってしまう。本当なら、レビューはそこそこにもう一回読みたいところ。
この作品は、読んでいる間が一番幸せなのだ。そのかわり、読み返すまでには気力がいるし、読んでいる時の感動を忘れてしまうと、異常に長大な無駄話の山になってしまうような気がする。

08/08/26(Tue)

Category:読書

方丈記

ctime: 08/08/26(Tue) 15:38
ゲオで100円で買った角川文庫ソフィア『方丈記』を読んでいる。
……現代風に言えば、ひきこもり老人の自伝だな、これは。
前半は京の荒れようを描き、後半は自らの暮らしぶりを語る。その暮らしぶりは、徹底的な世捨て人。ちょっとあこがれる。

文字は細かいが、本文はたった45ページ。残りは補注(脚注にはおさまらない注釈)、現代語訳、同時代の諸文献や解説、西洋古典の文法書並みに緻密な索引でぎっしり埋まっている。
こんなに贅沢な作りで定価は400円。すげえ。レクラムなみの値段で、資料がオールインワンだ……

08/08/23(Sat)

Category:読書

『梅原猛の授業 仏教』

ctime: 08/08/23(Sat) 20:05
『梅原猛の授業 仏教』(梅原猛・朝日新聞社/朝日文庫)読破。
実際の中学校で行われた、あの梅原猛による仏教講座。無宗教で生きている私たちに対して「なぜ宗教が必要か」ということを考えさせるような形になっている。

この本のバックに流れているのは、「文明には宗教がある」「宗教がなければ道徳はない」という考え方だ。
それを導き出すために、著者は『カラマーゾフの兄弟』を持ち出す。無神論者イワンが「神がいなければ道徳はなく、道徳がなければすべては許されている」と考えたことを肯定し、そこから道徳なき社会の無宗教性を指摘し、宗教一般へと導き入れる。間に含まれる高校生の討論でも、宗教と道徳の関係がメインテーマになる。

仏教講座としての構造は、ごく普通の、しかしわかりやすいものになっている。仏教に詳しい人には物足りないかもしれないが、宗教を意識しない人や宗教から離れてきた人には非常にわかりやすい。
私はこの本で、「祖に会ったら祖を殺せ。仏に会ったら仏を殺せ」という言葉を知った。宗教とは何かに従うものと考えていた私にとっては、これも宗教なのかと驚いた。もはや西洋哲学の一種じゃないかとも思ってしまう。でも、これなら、私でもできるかもしれない。

著者は、多神教としての仏教が世界に必要とされている、と説く。寛容や慈悲が世界を一つにする、ということだ。ローマ時代も多神教と一神教が対立したが、そのときは多神教側の政治的理由で一神教が弾圧された。今度はどうだろうかと、少し考えてみたりもする。

08/08/22(Fri)

Category:読書

哲学がわかる。

ctime: 08/08/22(Fri) 21:11
AERAムック『哲学がわかる。』を立ち読みしてみた。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4022741457/
いや、この本、すごい。
二百ページもないのに四段組で、非常に濃厚な出来となっている。
「使える入門書」という香りが漂っていてすばらしい。プラトンやアリストテレスのような哲学史的要素は少ないが、現代の方向に広がっている哲学を知ることができる好著だと思う。
文庫本をあらかた片付けたら買っておこうか。これなら旅行にもいいね。
同じシリーズで『ジェンダーがわかる。』などもあって、こちらもかなりしっかりしている。まとめ買いしたいし、図書館にまとめ買いさせたいね。
Category:読書

金とプライド

ctime: 08/08/22(Fri) 11:49
『カラマーゾフの兄弟』本編読破。これから解題に。

この物語は、金とプライドが強く絡んでいる。
貴族から金を受け取ることに対する、平民のプライド。婚約者から金をせびって駆け落ちを企むことに対する、貴族のプライド。女から、アリョーシャの目の前で金銭を渡されることに対する、聖職者のプライド……。
何もかもに金が絡んでくるのは、ドストエフスキーの定番かもしれないな。『罪と罰』のラスコーリニコフもそうだし、『賭博者』での金の舞い散り方はすさまじいものがあった。

この作品の中で一番好きだったのは、兄弟それぞれに降りかかる、夢の場面。アリョーシャには結婚式、ドミートリーには餓鬼、イワンには悪魔。
それと、登場人物が改心していく場面だ。アリョーシャは新たな自分に蘇り、ドミートリーは改心し、グルーシェニカもドミートリーを愛してしまったわけだ。登場人物は固定的ではないし、むしろ不思議な出来事を通じてよい方向に変わっていった。
そういえばラスコーリニコフも、改心したなあ。

08/08/01(Fri)

Category:読書

カラマーゾフの兄弟

ctime: 08/08/01(Fri) 23:20
結局『オリバー・ツイスト』は全部読んでしまった。
結構すぐ読めるんだね、仕方ないね
あれだけの長編を数日で読めるとは思わなかった……。

というわけで、今日から『カラマーゾフの兄弟』に挑戦。
オーソドックスに、光文社古典新訳文庫版だ。

ロシア文学には、どんな作者にも共通する独特の空気があるような気がする。外国へのあこがれ、やたらと広い舞台、そして軍隊などだ。
もちろんこれは気のせいかもしれないが、『大尉の娘』なんかを読んだ時と同じようなものが、気持ちの中にぼんやりと現れてきた。

08/07/21(Mon)

Category:読書

潮騒希望

ctime: 08/07/21(Mon) 22:01
三島由紀夫『潮騒』を読んでます。
ヒロインの台詞がCV小清水亜美で聞こえてくる俺は異常
っていうかホロっぽく聞こえてくるんだよなあ……

「汝(んも)も裸になれ、そしたら恥かしくなくなるだろ」(p.77)

この作品の元ネタは、ロンゴス『ダフニスとクロエー』らしい。
確かに、わかりやすい勧善懲悪・徹底的にごつごつした描写など、いかにもアルカイックなイメージを作ろうとしているのがわかる。
しかもそれが、三島由紀夫の保守主義にぴったり合っている。この作品の舞台は小島の漁村だが、そこについて主人公が語る理想的イメージ(pp.55-56)は、まさに保守思想そのものだ。
もちろん、保守思想が書きたくてこんな物語になった、なんてことはない。田舎の漁村なら、どこだってそんなことを思っていて当然だろう。だが、三島のことだ、どこかに時限爆弾でも仕掛けているような気がして、メモっておいた。

08/07/10(Thu)

Category:読書

工藤精一?

ctime: 08/07/10(Thu) 16:54
新潮文庫『罪と罰』など、ドストエフスキーの翻訳で知られる工藤精一郎氏が亡くなったらしい。
北海道に住んでいたんだ……。

『未成年』『死の家の記録』『戦争と平和』『父と子』など、ロシア文学の工藤訳は新潮文庫で読める。
それだけに、あの文体は親しまれたものだと思うんだよなあ。もちろん、ある種のうっとうしさが混じっているのは否定できないが。
『父と子』『死の家の記録』なんかは、いつか読書会でやってみたい作品でもある。

08/07/09(Wed)

Category:読書

『思考の整理学』

ctime: 08/07/09(Wed) 22:33
『思考の整理学』(外山滋比古・筑摩書房/ちくま文庫)読破。
突然多くの本屋で並ぶようになったロングセラー。数ページほどの短いエッセイを連ねて、人間にしかできない思考のすべを最大限に発揮させる、そのヒントを解いてゆくもの。

この手の知的思考マニュアルは、非常に多い。渡部昇一『知的生活の方法』のようなムチャクチャを述べるものもあれば、川喜田二郎『発想法』のような、テクニカルに特化した新書も多い。その中でこの本は、とびきり読みやすく、とびきり楽しい点で、いちおしできる。
確かに、以前に読んできた本で語られてきたことが多いとは思う。論文執筆術、レポートの組み立て方など、同じようなことを書いている本は無数にある。しかし、ここまでコンパクトに、ここまでわかりやすくまとめ上げた本はない。何よりも、読んでいて楽しいし、言葉の流れ方にもよどみが何一つなく、理解できないようなところが全くない。
パーフェクトなのだ。

この本は、論文に困る人たちのためのものではない。大学院生のためだけのものではない。当然、家計を揺るがすほど本にお金を使う人たち向けでもない。
思考をしたい人、思考を楽しみたい人、すべてのための本だ。

08/07/02(Wed)

Category:読書

KITAAAAAAAAAAAA

ctime: 08/07/02(Wed) 9:29
橋本紡『流れ星が消えないうちに』文庫本きたあああああああああああああ!!!!
……ついにハードカバーで読まないうちに文庫本になってしまった。

あと、ドストエフスキー『未成年』が新刊で登場。
これは読めということか。

08/06/30(Mon)

Category:読書

メモ

ctime: 08/06/30(Mon) 17:42
『イエスという男』
p.13/イエスの姿が創作され、その創作から権力が正当化される
22/「今日食うパンも欲しい」とまで言う
26/ふるいわけ
45/「イエスの活動は、ユダヤ教という宗教的社会支配体制に対する逆説的反抗だったのだ」
48/イエスはどこまで本気なのか
53/イエスとて歴史的制約を受ける
59/義人とか罪人とか、それ自体が無効
81/宗教を重んじるあまりに政治・社会を捨象してしまう学者
94/神学者が福音書と熱心党を結びつけ、反・帝国主義批判とも結びつけようとしている
103/神学者はイエスをひたすら宗教的にしたがるが、一方でひたすら革命家扱いしたがる者たちもいる
111/イエスの「神のみが支配者」であるという運動は、結果として民族主義を助長してしまった
132/イエスは「社会を変える」ことではなく、あえて「怨嗟と反抗」を持ち出して抵抗する
139/イエスの「支配者にはなるな」とパウロの「奴隷のままでいるがよい」の違い
151/庶民イエスが支配者全般に対して向けた怨嗟
158/イエスの記憶が消えても、世の中さえよくなってくれれば
172/イエスの批判がユダヤ教の本質を突いているということ
176/文献学批判―法律を調べ、「その法律がつねに厳格に実行されている」と考えてしまう過ち。生活の実態が法律通りなわけがないだろう
196/神殿が崩れるということ。イエスの過激な発言に教会も困って改変してしまうほど
209/イエス自身は社会的平等という概念は持っていないが、労働者の立場での理想を描いている―「一日一デナリで平等に」
224/ギリギリなイエスの発言―主従関係を神・人間関係に投射すると、一面では極端な平等主義、他面では階級関係の肯定
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